終章 イフリート

2人の前に強大な精霊種“イフリート”が現れた!

終章 イフリート
 
 驚き、振り返るエルル達の周囲を、紅蓮の炎が包み込む。周囲の草を、木を巻き込みながら、その輪をみるみるうちに縮めてくる。
「よくも私の部下達を倒せたものだ。それなりに仕込んであったハズなのだがな」
 恰幅のいい紳士風の男が、街道に続く木々の間から現れた。
 山賊の頭領なのだろうか、それにしては着ている服とかはセレブ風。大きな町に居る大商人か貴族かといった服装で、立派なひげを蓄えた中年の太ったオッサンである。
 男は足が悪いのか、ちょっと大き目の車椅子っぽい魔法車に乗り、所々に生える若木をなぎ倒しながらエルル達に、2人を囲む炎に近付いてくる。炎はそれに応じるかのように範囲を狭め、比例するように勢いを増していく。
「エルル‥‥」
 カリナが怯えたようにエルルに抱き付いた。
 そうだろう、カリナにはもう抗う術も、魔力も残っていない。
 徐々に輪の内を狭めていく炎は、エルルを襲ったような魔法力による概念的な炎ではない。実際に物を焼き尽くす力を持った、自然界の炎のようだった。
「早めに様子を見に来て良かった。私もここで挫ける訳にはいかないのでね」
 山賊の頭領というか実際に頭領ではなく、スポンサーや雇い主の類かも知れない。しかし、この炎を操る魔力はただ者ではないことを顕わしていた。範囲攻撃魔法を行える、それなりの力を持った精霊と契約しているのだろう、精霊を介さない通常の攻撃魔法ではここまでの炎は操れないはずだからだ。
「君たちには、ここで死んでもらうよ」
 勝利を確信した笑み。その言葉とともに炎が天を貫くがごとく、高く火柱を上げる。
 そして炎はその勢いをかなり狭め、大きな何かを形作ってゆく。
 辺りを取り巻く熱気と煙のためよくは見えないが、邪気を感じたカリナがつぶやく‥‥。
「‥‥そんな‥‥イフリート‥‥」
 ため息をつくエルル。エルルも知っている、かなり強力な火炎の精霊種だ。
 しかし。
「召還契約な訳ね?」
 思い付いたようなため息と共ににエルルはこぼす。
 落ち着いている場合ではない。いくらエルルが熱気を吸い取り、2人の周りだけ勢いが薄くなっているとはいえ、かなり熱い。
「い、今さら何を‥‥」
 ここで飛び出す、いつものエルルの脳天気さにカリナは苛立った。
 このままでは巨大な精霊の影に、押さえ込まれて終わりになってしまう。カリナにはもう対抗手段はなく、エルルが炎の生命力である“魔力”を吸い取ろうにも規模が違い過ぎる。
 八方塞がりだと思われるそのさなか、エルルが口を開いた。
 いや、口は無いのだが、語ったのだ。実際にどこから声を出しているのか、それはカリナ<セレス>も知らないけれど。
 
 
「契約に『契約者の望む人や物を滅ぼすべし』となってない? 普通のパターンでいくとさ」
 ポツリとつぶやくエルルの言葉に、周囲の炎が一瞬にして消え去った。
 熱気も消え、くすぶる煙も立ち上がらない。そこは魔法の不思議だ。
 紳士とその隣に並ぶ精霊種は、そのお互いが持つはずの契約書を確認していた。
 魔法行使に必要なため、紳士が持っているのは当然だが、身の丈3メートルはありそうな大きな精霊種が身体に対して小さな契約書を器用に開いている。
 そもそもどこに仕舞っていたのか、精霊種<イフリート>は真っ赤な身体に腰布1枚なのだが。
「‥‥ホントだ」
 なんだか、この「間」が間抜けだった。
 それをたたみかけるように、エルルは言う。
「私は異形の戦闘生物ではありますが、人でも物でもありません」
「‥‥契約は無効ね」
 呆れたように、カリナも続ける。
『オッサン、こりゃアカンわ。呼び出してくれただけで、契約は終了してまうで』
 イントネーションのおかしい、どこかの国の言葉で精霊は言った。慌てたのは紳士だった。
「‥‥そ、そっそっそれなら、あの娘を焼き殺してしまえっ!」
 紳士が慌てて指示変更を出すも、今度はカリナが何事かに気付く。
「名前」
「へっ?」
 エルルの疑問には応えず、カリナは『よいしょ』とエルルの腕を抜け、地面に降り立った。
 ふらつきながらも、未だ高熱でゆらめく真っ赤で巨大な精霊の影を見上げ、問いただす。
「精霊はその原初の契約から、名前を得たはずよ。そして名前を呼ばれると、後の契約は無効になるの。だってそうでしょ? 原初の契約者を、後の契約によってその命を狙うなんてさ、精霊の道義に反するものね」
 そして、ニッコリと笑う。
「まさか、最初に名前を付けてくれた人に、刃は向けないわよねぇ?」
『あ、あんさん、誰でっか?』
 その言葉、おそらく真実に驚いたのか、声が裏返っている。
 まあ精霊種の疑問ももっともと、なんとなく察したエルルは思う。誰が今の彼女をわかろうか。
「炎の精霊、イフリート族3番目の弟にして、南の山脈を預かるコータ・ローカ・トーリ! 姿は変わり果てたとはいえ、この私を忘れたとは言わせまいぞ!」
 ヨレヨレの身体のどこから発せられるのだろうか、強い口調に精霊種は飛び上がる。
『まさか! ほんな! ホンマでっかいな!』
 空に舞う精霊を形作る影が渦を巻き、カリナの足下に収束する。それはエルルより少し小さな、人型をした赤い小鬼のようだった。
『姫様! この度のご無礼をお許し下さいまし!』
 精霊は小さなカリナに跪き、その手に口づける。
 あっけにとられるのはエルルと紳士だ。何が起こっているのか、にわかには信じられなかった。
 ‥‥なんとなーくそうじゃないかと思ったけど、こんな傅<かしず>き様なの?
 ‥‥あんな恐ろしい思いをして、やっと契約できた強大な精霊が、こんな小娘に?
「コータ、久しぶりね♪」
『ワシは嬉しゅう思います。南の戦いで亡くなりはったと思うとった姫様と、こんな所でお目にかかれるなんて‥‥』
 精霊は泣いていた。
 精霊達が正当な手続きにより、初めて契約し、名前を受けた相手に絶対の忠義と礼儀を示すことは、エルルも聞いてはいたが。まさかこれほどまでとは。
『そんな姫様に炎を向けたなどとは、兄弟達に申し訳立ちまへん!』
「いいのよ、またいつか契約してくれれば。今回は相手がコータで助かったしね」
『そんな訳にはいきまへん。筋だけは通させて貰います』
 そう言う精霊は、振り返ると紳士を睨む。
「あー、いいのいいの。私が許すわ。その男には素直に捕まってもらわなくちゃ、ねぇ?」
 精霊をなだめながら、紳士に向けた視線。紳士が震え上がり、腰を抜かしたその目は冷たく、妖艶な光を帯びていた。それは10才のセレスの目ではない、冷たく静かに燃える、“黄昏の森の魔女”カリナの目である。
『そうでっか? 姫様がそう言うてなら、ワシはこれで消えます』
 精霊の姿が徐々に薄くなる。
『またワシの力が必要な時は、いつでも呼んだって下さい。契約なんぞ要りまへん、すぐにでも飛んで参りやす。ほな‥‥』
 おかしな言葉を使う炎の精霊、イフリートはそう言って消えていった。
 
 
「動くな!」
 いつの間にか紳士が魔法車で移動し、後ろからカリナに拳銃を突きつけていた。
 銃は少し前の南の戦争で使われだした魔術具である。
 魔法ではなく魔術によるものなので、魔力の扱えない一般人でも使えるとか。少しずつ広まっていて、紳士が地位も金も持っていたとしたなら所持していても不思議はない程度の品物だ。
 弾丸1発ずつに風魔術か何か込められているそうだが、エルルも詳しくは知らない。以前に立ち寄った街で「銃という武器を使う強盗団が出た」という話を聞いた程度である。
 宇宙にまで広まった古代文明大戦の頃には、当たり前にあった武器だそうだが、それは科学技術であり現在の魔術方式とは違うのだと、酒場のヨタ話にも聞いたけれど。
 ともあれ、この紳士は宣う。
「私はこんな所で捕まる訳にはいかんのだ、この化け物どもめ!」
 カリナは目を丸くする。
「エルル、化け物だって」
 顔を隣に立つエルルに向け、苦笑するカリナ。
「こんな可愛い少女をつかまえて、化け物だなんて」
「動くなと言っただろう! 動くなと‥‥動く‥‥ふわぁ‥‥」
 徐々に脱力する紳士。いや、もう紳士風のピエロに成り下がっているが。
 例によって、エルルに精気を奪われてしまっているのだった。立つこともできなくなり、その場に伏し込んでしまう。
 要は近付き過ぎ。
 まあ、紳士風ピエロはそんなエルルの事を知らなかったのだろうから、仕方がないといえばそうなのだが。
 先に銃を向ける辺り、魔物“モノエルル”より“謎の魔法使い少女”の方が恐ろしかったのかもしれないし。
「おやすみなさい」
 カリナは魔法車から転げ落ちた紳士に近付き、その銃を取り上げる。そして小さくあくびを漏らす。
「ふわぁ、私もそろそろ限界だわ。後はよろしくね」
 それだけ言うと、エルルに身体を預けて眠りに落ちるカリナ。
 カリナの眠りは、セレスの目覚めを指す。
 しばらくするとセレスが何事かと周囲を見回し、カリナと同じく小さなあくびを漏らした。
「あれ? ここは?」
「いいんだよ、もう、終わったんだ」
 腕の中でこちらを見上げる少女に、エルルは優しく笑って言った。
 その後、自身の持つ銃に驚き、取り落とす。
 
 
 セレスがエルフの娘を解放している間に、エルルは山賊達とその首領を縛り上げ、後はエルフの里の人々に任せる事にした。
 そして3人は里を目指す。
 
 
 セレスとエルフの娘を連れて、里に戻ったエルルはエルフ達の感謝の輪に包まれる。
 長老に感謝され、娘と傷付いた兄の両親に涙ながらに迎えられ、射られた娘とその小さな弟たちにもみくちゃにされた。
 エルフ達による宴が開かれ、エルフの里にしては珍しいであろうごちそうがたくさん並ぶ。
 エルルには何を出せばいいのか、娘達はセレスに窺い、ほどよく熟れた果物と里の酒が並べられた。
 陽気な音楽と踊り、楽しいおしゃべりと美しい花火を楽しんで、宴の夜は更けていく。
 後で聞いたが、山賊達はあの場所で一晩、忘れられていたそうである。ちょっとかわいそうな気もした。
 
 
 翌日。
 エルルとセレスには別々の部屋とベッドが用意されたのだが、結局夜半過ぎにセレスはエルルのベッドにもぐり込んできたのだった。
 サティアという矢に射られた娘の、夜伽の申し入れを断っておいてよかったと、エルルは胸をなで下ろしている。
 もし娘の「どうしても」という感謝の意を受けていたら‥‥また当分、口を利いてもらえない所だ。
 エルルは久しぶりに、若い元気な精気を堪能し、気持ちよく目覚めた。
 そして午前中に何人かの不調を訴える人を治療し、昼食を受けて里を起つことにしたのである。あまりノンビリした旅路でもないし。
 
 
「本当にありがとうございました。里の平穏を守って下さった、あなた方のご恩は一同、決して忘れません」
「‥‥あの時は‥‥その、すごく失礼な事を言ってしまいました。すみません」
 若者は申し訳なさそうに、照れを隠すように頭を下げる。
「また近くまで来ることがありましたら、ぜひ寄って下さい。いつでも歓迎します!」
「セレスちゃん、あまりエルルさんを困らせちゃダメよ」
 サティアがセレスに耳打ちする。どうやら夕べの事らしいが、セレスには通じず抗議を受けただけだった。
「そんなに困らせてないよ、ねぇ?」
「さぁな」
 エルルにとってはどこ吹く風である。
「お姉さん、ありがと。大事に使うね」
 腰のボトルケースを撫で、山賊に捕まった女性に感謝する。
 酒を呑み変貌するセレスのために、一晩で編み上げてくれた、丈夫で綺麗なボトルケースであった。
「それじゃ、お世話になりました」
「さようなら」
 里の入口まで村人達に見送られ、子供達に街道近くまで送られ、エルルとセレスは街道に出た。
 ここからふもとの村までは、歩いて2時間もかからない場所である。
 
 
「どうじゃったかな、エルフの里は?」
 街道沿いの大きな石の上に座っていた老人が、2人に声をかけた。
「ああっ! この爺さん!!」
 セレスが息巻く。
 それをエルルは止めた。首根っこを掴まれたセレスはぶら下げられた猫状態で、それでも老人に食ってかかろうとしている。
「ご老人、あなたは何者です? エルフの里が襲われていることを、知っていたのではないですか?」
「さあのぅ、ワシはただの老体じゃて」
 笑いながらそう言うと、老人は石をセレスに投げ渡す。
「ほんの礼じゃ。たいした物は出せんが」
「ああっ!」
 セレスが大声を上げる。
 今までけっこうニセモノとかを掴まされた事もある。エルルは気にしないのだが、セレスはそうとう悔しかったらしい。そのお陰か、鉱石や宝石・魔石に目が利くようになっていた。もちろん本職には及ばないけれど、そのセレスが驚く。
「こんな、こんな大きな緑鉱石!」
 魔法材料や宝石として使われる緑鉱石。その価値から、お金の代用として使われる事も珍しくない品物である。
 しかし、このような大きなものはあまり見かけない。どれほどの金額に換算されるか、エルルはともかく、セレスにも見当がつかなかった。
「ご老人、これは?」
 振り返ると、そこにはもう、誰もいなかった。
 ただ、どこからともなく、声がするだけだった。
『またどこかで会うこともあろうて』
 セレスが、誰もいなくなった石の上を見上げる。
「何者なの? あのお爺さん‥‥」
 エルルは小さくクスッと笑う。
「さあね、山の精霊か、森の精霊か。少なくともタダ働きではない訳だ」
「‥‥そうね」
 仕方なさそうに笑い、カバンに緑鉱石をしまい込むセレス。
 多くはないものの、エルフたちからもお礼はもらっていた。なのでタダ働きというのは間違いだが、けっこうな報酬にセレスもホクホク顔である。
「じゃ、行こうか」
 セレスはエルルの手を取り、返事の代わりに歩き出した。
 
 
 世間に噂や風聞は尽きない。
 南から北へ向かうという魔法医師のウワサに、新しい話が加わった。
 なんでもエルフの里の危機を救ったそうだ。
 その魔法医師、病気だけでなく何でも治す、すごい医者らしいぞ。
 どんなお医者様なんだろうね――――?
 
 
 
 
「蒼い瞳のエルル」 【エルフの森の赤い炎】 おしまい