どうしよう……。
いつも電車で一緒になるあの子、傘忘れてったぞ……?
電車の扉が閉まった途端、座席の手すりに掛けられた傘に目を奪われた。
毎朝、同じ時間、同じ車両の同じ扉で乗り降りする。
住んでいる所はあの子の方が学校に近いようだけど、学校がある駅は同じみたいだ。
ということは、同じ学校なんだろうか?
制服でわからないのか? って思うだろ?
今、夏だからどこの学校もカッターシャツに制服のスカート、ズボンって姿だからわかんねーんだよ。
そんなことは今は良いよ。
あの子、傘忘れてったんだよ。
で、今、まさに雨降って来たんだよ。
電車の窓に雨粒がポツポツと当たってる。
駅に着いた。扉が開く。
俺が降りる駅じゃない。
が、俺は傘を持って飛び降りた。そのまま下りの電車に飛び乗る。
その途端、扉が閉まり、反対方向へと動き出した。
車内の客が、俺を見つめる。
何か変か……?
あ。変か。俺が女物の傘持って駆け込んで来たんだもんな。ヘタしたら、女から傘を奪って逃げて来たって思われてしまいそうだ。
……いや、実際あの隅っこに座ってるオバハン、そんな風に思っていそうだぞ。顔付きがスゴイ……。
三分ほどであの子が下りた駅に戻って来た。
「あ……」
ホームに降り立つと、まだそこに立っていた。
何だがボーゼンとしてるって感じだ。
「……良かった……」
ホント、良かったよ。このままこの子に会えなかったら、俺、この傘どうするつもりだったんだ?
彼女はキョトンとして俺を見上げた。
「……?」
俺は電車から持って来た傘を差し出した。
「キミ、この傘、電車に忘れたでしょ?」
一度は傘を見ていたハズなんだが……まぁ、店で大量に売られてた中の一本なんだろう。きっと『あたしと同じ傘だ』くらいにしか思ってなかったのかな。
「あ……! それで……?」
ようやく意味がわかったらしい。
色白でスッと伸びたしなやかな手指に、ようやく傘を手渡した。
「それじゃ、僕はこれで」
特に会話するネタもないし、用事は忘れた傘を渡す事だけ。
なので、去ろうとしたのだが。
「あの……! ちょっと……!」
彼女は俺を呼び止める。
「あの……傘……ありがとうございました」
慌ててペコリと頭を下げてくれる。肩の少し下まで伸びたサラサラの長い髪がフワリと踊る。
そんな姿を見てると、体の奥で何とも言えない心地好い鳥肌を感じた。
「いや、電車の中で気付いてたの、僕しか居なかったみたいだしね。
まだホームに居てくれて良かったよ」
ホント、渡せて良かった。自然と口元がほころぶ。
ただ、無事に渡せてしまった事に、少し残念な気持ちも混じってる。なぜだ?
傘を握りしめて、ほんのりと頬を赤らめている彼女を見ていると、上り電車がホームに入って来た。
「それじゃ、また」
軽く手を挙げて扉に向かう。
「本当に……ありがとうございました!」
嬉しそうに彼女がそう言ってくれた時、乗り込んだ電車の扉が閉まる。
あっという間に彼女のいた駅は見えなくなり、俺は電車の揺れに身を任せるように扉近くの手すりにもたれる。
……それじゃ、また……
なぜか最後に発した自分の言葉がフラッシュバックして来た。
……え? 『また』?
自分で言ったくせに、自分の言葉に若干興奮して喜んでる。
『また』彼女に会える約束をした気分で、嬉しかった。
……って、『嬉しい』って何だよ。
俺……あの子の事、好きになってたのか……。